LOGINリーシャ……。
前世で最後まで私の味方だったメイド。
私が投獄されたのに、リーシャは最後まで私から離れようとせずに世話をさせてほしいとアルベルトに訴えたのだ。そして本来であれば牢屋に入る必要も無かったのにリーシャは自ら私と同じ牢屋に入り、私の世話をしてくれた。
処刑される前日まで――私が死んだ後リーシャはどうなったのかは不明だが、最期までアルベルトに訴えた。どうかリーシャだけは見逃して欲しいと。
『罪があるのはお前だけであって、メイドには何も無い。安心しろ、お前のメイドには手を掛けないと約束してやろう』
アルベルトは私の最後の面会に訪れた時、そう告げた。
断頭台に引きずられて歩いている時、観衆の中で1人泣きながら私を見つめていたリーシャ。
あぁ……こんなに大勢から憎まれているにも関わらず、私の死を悲しんでくれている人がいるのだ。
そのことだけがあの時の救いだった。だから私は願った。
リーシャの幸せを――
****「リーシャ……リーシャ……!」
私はリーシャを抱きしめ、ボロボロと泣いた。
前世で46年まで生き……2人の子供を育てた私が、今はまるで子供のようにリーシャを抱きしめて泣いている。自分で情けないと思いつつも、どうしても涙が止まらなかった。そんな私をリーシャは抱きしめ、髪を撫でながら語りかけてきた。
「あらあら、一体クラウディア様はどうしてしまったのですか? いくら今日、アルベルト様の元へ嫁ぐからと言って、感情が高ぶってしまったようですね?」
「え……?」
その言葉に一気に冷静になった。
今、何て……? 私は今日、アルベルトに嫁ぐ……?
「リーシャ」
涙を袖で拭うと、リーシャの目をじっと見つめた。
「ねぇ……今、一体何年の何月何日なの?」
「どうしたのですか? クラウディア様。今はインペリア歴714年の5月1日ですよ?」
「インペリア歴714年、5月1日…4…」
間違いない。……国境を3つ超えた先にある王国『エデル』の若き新国王、アルベルト・クロムに嫁いだ日だ。
「そ、そんな……」
あまりのショックに頭を押さえ、よろめいてしまった。
「きゃあ! しっかりして下さい! クラウディア様!」
リーシャが慌てて私を支えてくれる。
「大丈夫ですか? お顔の色が真っ青ですよ?」
私を支えたリーシャが心配そうに顔を覗き込んできた。
「い、いえ……大丈夫よ。ただ、もう嫁ぐ日がやってきたなんて……月日が経つのは早いなと思って」
無理に笑みを浮かべてリーシャを見たけれども、私は自分の運命を呪った。
何故、回帰したのがよりにもよってアルベルトの元へ嫁ぐ日なのだろうと。
これが数日前なら、私は迷わず逃げたのに。どうしてもアルベルトとは結婚したくないと告げ……リーシャさえよければ、2人で一緒に逃げたのに。
けれど嫁ぐ当日ともなれば、もう逃げ場はない。「取り敢えず、少しソファに座って休みましょうか? 出発までには後3時間は余裕あがありますから」
「ええ、そうね……」
リーシャに支えられながら、ソファに座った。
「ふぅ……」
背もたれによりかかり、天井を見上げてため息をつくとリーシャが神妙そうな顔で言った。
「お気持ちはよく分かります。結婚と言えば、誰でも幸せを感じるとは限りませんから。何しろ我が国は『エデル』との戦いに破れ、陛下と王太子であるレオポルト様だけでなく、多くの家臣たちが処刑されてしまいましたからね……」
リーシャの話を黙って聞きながら、回想した――
****クラウディアだった私の人生は決して恵まれたものでは無かった。
一国の王女として生まれながら、この世は戦乱に満ちていた。父や兄、それに家臣たちは『エデル』との戦いに破れて処刑されていった。 助かったのは王女である私と、無力な家臣達。そして、まだ幼い弟のヨリックであった。私の国『レノスト』は『エデル』の属国となり、二度と反逆出来ないように私は妻としてアルベルトの元に嫁ぐことが決定した。
しかも、この結婚はアルベルトが家臣たちの反対を押し切って決めたことであったのだ。 アルベルトの家臣たちは皆、私も弟も処刑するように進言したにも関わらず、彼は首を縦に振ることは無かったらしい。だから感違いしてしまったのだ。私は彼に望まれて結婚するのだと……。
それが大きな間違いであることは、当時の私は気づきもせずに――
「いいえ。私の父が一方的に宣戦布告し、敗戦したのは事実ですから。宰相の仰ることは尤もです。どうぞお気になさらないで下さい」「何? クラウディア。お前は本気でそのようなことを言っているのか?」アルベルトが驚いた様子で私に尋ねてきた。「はい、本気です。むしろ父の犯した罪を謝罪させて下さい。陛下、大変申し訳ございませんでした」私はアルベルトに頭を下げた。「クラウディア……」するとリシュリーが私に話しかけてきた。「ほう……これは驚きです。やはりクラディア様は噂とは大分かけ離れたお方のうようですな。今回の旅に同行した兵士たちは皆、口を揃えてクラウディア様のことを褒めておりましたぞ? 素晴らしい人格者だと」「え?」その言葉に思わず反応し、リシュリーを見た。まさか……ユダ達のことを話しているのだろうか?「おや? どうされましたか? クラウディア様」リシュリーは何処か面白げに口角を上げる。「いえ、皆どうしているのかと思っただけですので」「ほ〜う。クラウディア様はたかが一介の兵士たちのことを気にかけておられるのですか?」「それは当然のことです。彼らとは何日もかけて長旅を共にした仲間なのですから」「仲間……ですか? これはまた随分面白いことを仰いますな。彼らは単にクラウディア様をこの国に連れてくるという任務を果たしただけですが?」すると何故かカチュアまで口を挟んできた。「まぁ、クラウディア様はこの国の王妃となるお方なのに……随分庶民的な考えをお持ちなのですね」その時――「いい加減にしろ! これ以上クラウディアに向かって不快な発言を繰り返すなら出て行け! 俺は元々クラウディアと2人で食事をしようと思っていたのだ。それなのに何だ!? お前たちの頼みを聞き入れたクラウディアに対して……何という口を聞く!」ついに我慢の限界に達したのか、再びアルベルトは声を荒らげた。「申し訳ございません、陛下! どうぞ……お許し下さい!」するとカチュアが震えながらアルベルトに頭を下げた。「陛下、確かに少々言葉が過ぎてしまいましたが……事実、クラウディア様が個人的に親しくしておりました複数の人物達がいたのは事実なのですぞ? 実際に私が選抜した兵士たちから報告を受けておりますから」そしてリシュリーは私を見た。「!」その言葉に私はユダの言葉を思い出した。この中
「よせ、クラウディアは関係ないだろう? 何故彼女に尋ねる?」アルベルトが眉間にしわを寄せた。「関係ないことはありません。クラウディア様はいずれ王妃になられるのです。この国の重要人物である方に間違いはありません。ここはクラウディア様の考えも尊重されるべきではありませんか?」「……分かった。ならクラウディアにも尋ねるが良い」ため息をつくとアルベルトは私を見た。「どうですか? クラウディア様。私共も、食事会に参加させていただけますよね?」リシュリーは威圧するような眼差しを向けてくる。そしてカチュアも私から視線をそらない。勿論私の答えは既に決まっている。「はい、私は別に構いません」「何!?」驚きの声を上げたのはアルベルトだった。「クラウディア……本当にそれで良いのか?」私が承諾したことが余程意外に感じたのだろうか? アルベルトは目を見開いて私を見ている。「はい。この国の宰相と『聖なる巫女』である方の同席を拒絶する理由は私にはありませんので」むしろ、アルベルトにはカチュアと是非とも親交を深めて欲しいと願っている。2人が恋仲になれば、それだけ私も早く離婚を切り出すことが出来るのだから。「おお、流石は次期王妃になられるお方だ。話が早くて助かります。では早速座らていただきましょうか?」「はい、失礼いたします」そしてカチュアはアルベルトの右隣りで宰相は左隣。私はアルベルトから少し距離の離れた向かい側の席に座ることになった。この席次もリシュリー宰相が勝手に決めてしまった。「……」アルベルトは席の並びも気に入らなかったのか、忌々しげな様子を見せている。けれど彼らとは出来るだけ距離を開けたい私にとってはありがたかった。出来るだけ、存在を消すように息を潜めていよう……。そして私達が着席すると給仕によって料理が運び込まれ、何とも微妙な雰囲気の中で夕食会が始まった――****「こちらの国のお料理は本当に美味しいですね」カチュアは料理を切り分けながら、隣に座るアルベルトに親し気に話しかけている。「……そうか」一方のアルベルトはカチュアを見ることもなく、料理を口に運んでいる。そっけない態度のアルベルトの態度に困った様子のカチュアはまるで助けを求めるかの如く、リシュリー宰相を見た。すると、すぐに宰相は話し始めた。「カチュア殿、この国
白いローブを着た『聖なる巫女』、カチュア。背中まで届く長い黒髪のカチュアを見ていると、日本のことが少しだけ思い出された。けれど……こんなに早くカチュアが現れるとは思いもしなかった。彼女が現れるのは後半年は先の筈だったのに。けれど今の私にとって、彼女の登場は都合が良かった。いずれカチュアとアルベルトは結ばれる運命だからだ。そうなれば私は不用な存在になる。この国にとって無害な人間であれば、処刑されることは無いだろう。そして、リシュリー宰相の機嫌を損ねない限りは……。私はアルベルトにさり気なく離婚を切り出し、承諾を得て国に戻る。そして弟のヨリックを支えて生きていければそれで良い。回帰前にあれ程欲していたアルベルトの愛は、もはや私には不用なのだから。しかし、今回は何故か様子が違う。「リシュリー。何故余計なことをする? 俺はクラウディアだけを夕食に招いたのだぞ? 何故お前がここにいるのだ?」アルベルトはカチュアの存在を気にする素振りも見せず、宰相に文句を言った。「アルベルト様、落ち着いて下さい。まずは私の後ろに控えている女性を御紹介させていただけますか?」宰相はアルベルトの苛立ちを気にすることなく、カチュアを振り返った。「さぁ、陛下にご挨拶なさって下さい」リシュリーは丁寧な態度でカチュアに声をかける。「はい、リシュリー様」カチュアは頷くと、前に進み出た。「はじめまして、アルベルト様。私はカチュアと申します。本日、気付けばこちらの国の神殿の前に立っておりました。そして途方にくれているところをリシュリー様に保護していただいたのです」そして笑みを浮かべる。「……そうか、カチュアと申すのか。分かった、挨拶が済んだのなら出て行って貰おうか? リシュリー。そなたもだ」アルベルトは無表情でカチュアとリシュリーを交互に見た。するとリシュリー宰相がカチュアの隣に立つとアルベルトに語った。「申し訳ございませんでした。これは言葉足らずでしたな。陛下は不在だった為にご存知無いかも知れませんが、本日この国に虹色に光り輝く雲が現れたのでございます。我が国には言い伝えがありますよね?空に虹の雲が現れる時、この国に富と繁栄をもたらしてくれる『聖なる巫女』が現れると」「それがどうした?」アルベルトは返事をしながら、着席すると腕組みした。「そこで、私は慌
その後私は部屋に鍵を掛けて、誰も自分の部屋に入れないようにした。そして部屋のカーテンを閉め切ると、テーブルの上に錬金術の道具を並べ始めた。この先、何が起こるか分からない。自分の身を……。そしてリーシャの身を守るためにも錬金術で薬を作り出しておかなければ。「やっぱりまず最初に作るのは【聖水】ね。【エリクサー】は別の日に作りましょう」どうせ、今はすることは何も無いのだ。アルベルトは私を相手にするはずもない。正式な夫婦になれば私用の予算が割り振られるはず。それが決定するまでは、恐らく私はこの城で放置状態にされるだろう。何しろ回帰前がそうだったのだから……。「とりあえず、今は2瓶だけ作りましょう」私は羊皮紙に術式を描き始めた――****「ふぅ……」気づけば目の前には【聖水】の元になる液体が出来上がっていた。今はどれくらいの時間が経過したのだろう。錬金術を駆使している間は途中からトランス状態に入ってしまう。その為に時間の経過が分からなくなってしまうのだ。出来上がった【聖水】を保存用の瓶に移すと、ドレスルームの奥に隠すように置かれたダイヤル式金庫に【聖水】を入れて鍵を掛けた。「ふふふ……。回帰前はこの中にはアクセサリーばかりだったのに、今入れるのは【聖水】なのだから、おかしなものね」今の私はアクセサリーの類など、一切興味は無い。そんなものを身に着けたところで、今の私には意味が無かった。そのような贅沢品を買い集めるくらいなら、領民達を助ける為の予算に回す方が余程有意義だ。「そうだわ。これからも少しずつ【聖水】や【エリクサー】を作って、トマスに託そうかしら……」その時、ふと私の為に『エデル』までついてきてくれたスヴェンやザカリーのことを思い出した。「皆は今頃、どうしているのかしら……」出来れば酷い扱いをうけていなければいいのだが、今の私にはもう彼らと会える手段は無い。「せめて元気で過ごしてほしいわ……」金庫を閉じると、次はカーテンを開けて外を見ると既に空はオレンジ色に染まっていた。「まぁ……もう夕方になっていたのね」部屋の壁掛け時計を見ると、時刻は16時半を過ぎていた。「それにしても疲れたわ……」ホウとため息をつくと、カウチソファに座った。いくらこの身体が20歳だとしても、疲れるのは無理もない。何しろ長旅で到着した
ガチャ……扉を開けると、そこにはあのトリスタン・リシュリー宰相が立っていた。彼の背後には側近と見られる2人の男性がついている。痩せぎすの青白い顔に銀髪の初老のリシュリーはまるで司祭のように長い紺色のローブを羽織っている。「貴女が敗戦国から嫁いでこられたクラウディア・シューマッハ様ですか?」「はい、そうです」随分失礼な物言いだと思いながら返事をした。「さようでございましたか。先程は私がクラウディア様のお出迎えをすることになっておりましたが……突然大事な用が出来てしまったので席を外してしまいました。大変申し訳ございませんでした。どうぞご無礼をお許し下さい」そして頭を下げてくる。彼の物言いだと、まるで私の出迎えは大して重要事項では無いと言っているようなものだ。以前の私だったら、ここで言い返していたかも知れないが……今は違う。様々な経験が私を大人にしたのだ。なのでにっこり笑みを浮かべた。「いいえ、どうぞお気になさらないで下さい。人には誰でも優先事項というものがありますから、当然そちらを優先するべきです。第一、私の到着が意外なほどに早かったのですから予定が重なってしまうのは無理もありません」「ほ~う。これは驚きましたな。貴女は随分噂とは違うお方だ」私の言葉に目を細めるリシュリー宰相。「そうですか。所詮噂というものは得てして尾ひれがついて歪曲されがちですからね」「……本当に貴女は20歳なのですか? 随分大人びて見えますが?」リシュリー宰相は忌々しい物を見るかのような目で尋ねてきた。「はい、そうです。お褒めに頂き、光栄です」「……ところで、最初にこの城にいらしたときには、みすぼらしい姿でお越しになったと使用人たちから聞いておりましたが……随分と良いドレスを着ておいでですな?」「ありがとうございます。こちらは陛下から頂いたドレスです」「何ですと!? 陛下から!?」その時になって初めてリシュリー宰相の顔に焦りの表情が浮かんだ。まさか、私がアルベルトからドレスを貰ったことがそれほどまでに意外だったのだろうか?「はい、そうです。それがどうかされましたか?」「い、いえ。何でもありません。そういえば……もう陛下にお会いになられたそうですな? 実は陛下は外遊に出ておられたのですが、クラウディア様がこの国にいらしてから、すぐに戻られたのですよ。
昼食は私とリーシャの2人分が用意されていた。2人で向かい合わせに食事をしながら、リーシャは戸惑いをみせていた。「あの……クラウディア様」「何かしら?」スプーンを口に運ぶと返事をした。「私はただの専属メイドで、侍女でも何でも無いのによろしいのでしょうか? クラウディア様と一緒のお食事なんて……」リーシャは目の前に並べられた料理を見つめている。テーブルの上には鶏肉や野菜を柔らかく煮込んだシチューや、スコーン、グリル野菜にキッシュが並べられていた。「あら、いいのよ。だって厨房の人が料理をワゴンに乗せてくれたのでしょう?」「ええ。確かにそうなのですが……申し訳なくて……」「別に気にすること無いわ。お城からの計らいなのでしょうから。きっと長旅で疲れている私たちに気を使ってくれたのよ」そう答えながらも、私も実は内心この状況に戸惑っていた。侍女長が訪ねて来たこともそうだが、アルベルト自身が私をこの部屋まで連れて来たこと。服が用意されていたことも含めて。「そうなのですね。ならこれで少しは安心出来ました。私たちはこの国に歓迎されているってことですよね?」「……」リーシャの言葉に私はすぐに頷くことが出来なかった。歓迎?本当に歓迎されているのだろうか?何しろ私はかつて、1度目の人生で処刑されているのだから……。「どうかなさいましたか? クラウディア様」「いえ、何でも無いのよ。そうね、きっと歓迎されているのよ」何も知らないリーシャを不安がらせるわけにはいかない。ただでさえ、彼女は未だに自分の置かれている状況に混乱して不安定なのだから。「それを聞けて安心しました」「ええ、そうよ。それにしても美味しい食事ね」「はい。クラウディア様」そして私たちはその後も会話しながら2人きりの食事を楽しんだ――**** 食事が終わり、リーシャは厨房に食器を運ぶ為に部屋を出て行った。その後はメイド教育があるらしく、しばらくは戻って来れないということでその間は1人部屋で過ごすことになった。「この部屋……本当に懐かしいわね」食後のお茶を飲みながら、改めて用意された部屋を見渡した。家具や調度品、壁紙やカーテンにカーペットの色合い迄何もかもが変わりない、全てがワインレッドの色合いでコーディネイトされていた。「……出来れば色合いは白の方が好きなのだけど…







